鳥居に座る少女に咎められて

 

公開日:2024/06/16 /

       

大好きだった従姉が亡くなった。

__7月の雨が降りしきる日。
夏休みが始まって早々。おじいちゃんの家に従姉の美晴お姉ちゃんと一緒にお泊まりをしていた。

コンビニも大きな建物も無い、田舎の集落。
おじいちゃんは、ほとんど人が来ない古びた神社の神主だった。だけど、僕は一度もその神社を訪れたことがない。

『山奥にあって危ないから』と、お祖父ちゃんは言って一度も連れていってくれない。

どんな神社なのだろう。
一体何があるのだろう。

夜の帳。
おじいちゃんの家で、こっそりと美晴お姉ちゃんにその話をしてみると、「私は神社行ったことあるよ!…でも、コウくんにはまだ早いかな~…」と濁されてしまった。

「なにそれ!美晴お姉ちゃんだけズルいズルい!!」

「はいはい、もっと大きくなったら一緒に行こうね」

どうして僕だけ神社に行ってはいけないのだろう。
もしかしたら、神社に何か凄い秘密があるのではないか。

おじいちゃんや、お姉ちゃんはそれを隠したいだけなのではないか。そう考えると、何だか腹立たしくて悔しくなってきた。

その夜は、美晴お姉ちゃんと布団を並べても一言も口を聞かず、ふて寝したように眠りについた。

**
翌日も、朝から雨が降っていた。

「せっかく遊びに来てくれたのに、お天道様が不機嫌だねぇ…」とおばあちゃんが嘆くように呟いている。

大きなちゃぶ台の上には、ご飯やお味噌汁。
焼き魚に、手作りだという大根のお漬物。

「おいしそうー!!いただきまーす!!」

「たんとお食べや…」

美晴お姉ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃんと囲んで朝ごはんの時間。

いつもなら美晴お姉ちゃんとお喋りをしながらご飯を食べるけれど、昨日の会話を引き摺って子供心に拗ねて淡々と箸を進めていた。

「コウくんどうしたの?元気ないの?」

「別に…そんなことないし!」

「ふ~ん…じゃあ後で私がたくさん笑わせてあげるね♪」

ニヤニヤと正面に座る美晴お姉ちゃんに見つめられ、余計意地になって顔を背ける。

ふと寡黙なおじいちゃんの方を見ると、何かを思い出したように口を開いた。

「…あぁ…そうじゃ…”ククリヒメ”に御供えせにゃならん…すまんが美晴よ…」

「ん、分かってる!ご飯食べ終わったら行ってくるね!」

“ククリヒメ”は、神社で祀っている神様の名前だと聞いたことがある。もしかして、お姉ちゃんだけ神社に行くのだろうか。

「ぼ、僕もいく!!」

「だ~めっ!…ほら、雨降ってるからコウちゃんは家で大人しく待っててね♪」

「や、やだ!!何で美晴姉ちゃんばっかり!!そんなのずるい!!」

我慢できずに駄々を捏ねてしまう。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、美晴お姉ちゃんも。
みんな困ったような悲しい顔をして静かに押し黙る。

それ以上は、何も言えなかった。
喉の奥にかき込んだ白飯は、何の味もしなかった。

**
朝食の後、美晴お姉ちゃんより一足先に布団を敷いていた部屋に駆け込んでいた。

眠気を誘われる雨の音。
二度寝をしようと思い布団に入りかけた時、「コウくんー?さっきはごめんね?」と障子を開けて美晴お姉ちゃんが入ってきた。

「…別に…こっちこそごめん…」

「じゃあさ、仲直りしよっか♪えいっ!!」

「うわっ!ちょ、なんだよ!重いって!!」

美晴お姉ちゃんは僕を布団に押し倒してお腹の上辺りに馬乗りになる。両手首を掴まれて万歳させられ、片手で押さえつけられながら顔を覗き込まれてしまう。

「あー!女の子に重いとかいったら駄目なんだよ?お仕置きしてあげるね。ほぉら、こちょこちょこちょこちょ~♪」

「あはっ!?っぅひゃぁぁっあひっっぎゃぁぁぁっあはっぁぁぁぁぁっあはははははははははは!!!!!ぁぁぁっや、やめてやめてぇぇぇっぁぁぁっあはっくひゅぐっだいよぉぉっぁぁぁぁっあははははははははははははは!!!!」

首筋や腋の下を容赦なくこちょこちょとくすぐられて、我慢できずに思いっきり笑わされてしまう。

普段学校で女子から脇腹をつつかれたり、ほんの少しくすぐられることはあっても、年上の女の子に馬乗りされて動けないように押さえつけられながら弱いところを執拗に責められるのは初めての経験だった。

「ほらほら、くすぐったいね~?ごめんなさいは?」

「あはっ!!ぁぁぁっごめっっごめんなしゃぃぃぃっぁぁぁぁぁぁっあはははははあ、謝ったからぁぁぁもうひゃめてぇぇぇぇぇっ!!!!」

あまりのくすぐったさに目には涙を浮かべ、情けなく涎を垂らしてひぃひぃとごめんなさいして許しを乞う。

もうそろそろやめてくれるかと思っていたけれど、美晴お姉ちゃんは執拗にくすぐり続け、万歳している両腕の上に座り込んで両手で腋の下をこちょこちょと責め続ける。

「ひぃぃっあはっぁぁぁっい、いつまでやるのぉぉごほっ、げほっ、ぁぁぁっくるしぃぃからぁぁぁっあはっぁぁぁぁぁっあははははははははははははは!!!!!」

「こちょこちょこちょこちょ…ごめんね。コウくん…」

ぼそっと、お姉ちゃんの哀しそうな声だけがハッキリと耳に届いた。酸素を奪われてぼーっとする視界と意識。

自分の笑い声も、雨の音も。
何も聞こえなくなって深い深い水奥に眠り込んでいく__

……
夢を見ていた。どこか懐かしい記憶のある神社の鳥居。
空は晴れているのに、雨が降っている。
見覚えのある人影。少女に絡め取られて消えていく。

「…っはぁっ、はぁっ…はぁっ………ぁ…あれ……」

強くざわめく雨の音。
びっしょりと寝汗をかいて布団から跳ね起きた。

あれ…そう言えばさっきまで美晴お姉ちゃんにくすぐられて…

「美晴お姉ちゃんは…?」

何だか、ずっと嫌な予感がする。
ドタバタと居間に走る。

おばあちゃんとおじいちゃんはテレビを見つめていた。

「おばあちゃん、美晴お姉ちゃんは…?」

「……………」

何も答えない。 聞こえていないかのように、なにも。

もう一度強い口調で言い直そうとした時、おじいちゃんが口を開いた。

「…御供えに行った。じきに…帰ってくるじゃろうか……」

どこか、自信の無い哀しげな声に益々不安が掻き立てられる。

「迎えにいってくる!!!」

「いかん…!!」

急に大きな声を出すおじいちゃんを背中で無視をして玄関に駆けていく。靴を履いて、傘さら持たず逃げるように家を出た。

「…っはぁっ、はぁっ、はぁっ……」

僕が外に出た瞬間、一気に雨足が強まった気がする。
横殴りの雨に打ち付けられ、顔も服も靴もびしょ濡れだ。
白い靄一面。自分がどこを走ってるのかすら分からない。

息が苦しい。呼吸が重い。
だけど、無理やりにでも足を動かし前に進み続けると__

「っはぁっ…はぁっ…ここは……!」

雨が縦に降り弱まる。
石段の上。見覚えのある鳥居。夢で見た光景と同じ。

「…っあっ!美晴…お姉ちゃん!!!」

石段を上りきったところ。大分高い場所に後ろ姿が見えた。その人物が一瞬だけ振り返り、僕と目が合った瞬間…

「……ぇっ………」

時が遅く感じる。何も聞こえない。
視界が灰色に包まれる感覚。

石段から、何者かに吹き飛ばされたかのように背中から落ちていくのが見えた。背中の影が段々と大きく、ハッキリと。

地面に頭から打ち付けて、血を流す美晴お姉ちゃん__

「……ぁっ…ぁぁぁぁっ…いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ_____ぁぁぁぁぁぁっおねえちゃん…!!そんないやだ…嫌だぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」

血の海が雨と混じり、広がっていく。
目を閉じて、ピクリとも動かない美晴お姉ちゃん。

血の気が抜ける。発狂。声にならない声が雨音に響く。

そんな…いやだ…嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!
死なないで…嫌だ…美晴お姉ちゃん……

頬を手で触れながら、祈るように叫び続ける。

「ぅぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」

天を仰ぐと、顔から雨粒と涙が流れ落ちていく。
フッ…と、神社のある方向を見上げる。

鳥居の上に、誰かが”座っている”ような気がした。

**
あの後、どうやって家に帰ったのか覚えていない。
気が付いたらおじいちゃんの家にいて、美晴お姉ちゃんは帰って来ない。お風呂に入った後、急に身体が冷えだして熱っぽくなった。

布団に寝かされ、おばあちゃんに見守られながら眠りにつく。きっと、これは悪い夢を見ているんだ。

大好きな美晴お姉ちゃんがいて、楽しい夏休みの日々を送っているのだと。すがるように信じながら。

__目が覚めても、現実は変わらなかった。
むしろ、余計に「美晴お姉ちゃんはこの世に居ない」という事実が否応なしに生きていることを実感してしまう。

お父さんは仕事。お母さんは黒い服を着ておじちゃん家に来た。それから程無くして、続々と親族や顔も知らない親戚がおじちゃん家に集まってきた。

「美晴は…美晴はなんで…まだ…だって…なんで…!!」

美晴のお母さんは、目に涙を浮かべながらおじいちゃんに詰めよって胸ぐらを掴んでいた。

他の大人達に羽交い締めにされながら、泣き悲しんでいる声を聞いていると、罪悪感で胸が張り裂けそうになる。

「あんたもつらかったね…もう熱は大丈夫?」

「…うん……」

隣に座る母が頭を撫でて抱き締めてくれる。
どうしても…心が押し潰される前に、母にだけは打ち明けようと思う。

「…神社に、僕が神社に行かなければ…美晴お姉ちゃんは助かったのかな……」

ほんの小さく。母にだけ伝わるくらいの声量で話したつもりだった。だけど、まるで時間が止まったかのようにシーンとした空気が支配する。

「…ねぇ、今…何て言ったの…まさかあんた…!昨日神社に行ったの!?ねぇ、答えなさい!!!!!」

美晴のお母さんに遠くから睨まれ、大きな声で詰問される。

「ひっ!?…ぁぁっ…その……美晴姉ちゃんを迎えに…」

僕がそう答えた瞬間、母から平手打ちをされて頬を殴られた。

「…っっ…!?…なにするの……」

「あんたって子は…!!うちの子なんかじゃありません!」

世界が真っ暗になる。頭がキーンとする。
耳鳴り。頬に残る痛み。痛み。現実。

もう何も考えられない。考えたくない。
気が付けば、身体が自然と動いて家の外に駆け出していた。

あの時と同じように。
雨が降る中、足は神社の方向へ向かう。

もしかしたら、美晴お姉ちゃんはまだあの神社に居るのではないか。隠れていて、脅かそうとしているのではないか。

薄い希望的な観測と、何よりも。
ずっと気になっていた神社の秘密を知りたい。

「っはぁっ、はぁっ……ここだ…」

雨に濡れた石段を、慎重にゆっくりと足を踏みしめる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
ほぼ四足歩行のように身を低くして上の段に手をついて上っていく。

石段を上り始めてから、不思議と雨も弱まっていく気がする。後もう少し。もう少しで鳥居までたどり着ける。

そして、ようやく石段を上りきると、朱色の鳥居の先には小さな拝殿があった。

鳥居をくぐろとした瞬間、上から『待て』という声が聞こえた。

「えっ…!?だ、誰…!!」

威厳のある、高い女性のような声。
恐る恐る、声のする方向へ顔を上げると…

『貴様は…男じゃな?わらわの神殿に足を踏み入れることは赦さんぞ?』

__少女が、鳥居の上に座っていた。

白い装束を着ている。人間…いや、もしかしたら…

「ねぇ、あなたが神様なの?お願い…美晴お姉ちゃんを助けて!!!!」

『…お主は昨日の…美晴の親族か?』

「やっぱり…美晴お姉ちゃんを知ってるんだ…返してよ…美晴お姉ちゃんを返してよ!!この人殺し!!!」

勢いに任せて言葉を吐いた後、一瞬で後悔する。
夏から真冬になったかのように気温が凍え、雪が降り始める。

鳥居に座る少女は、上から飛び降りたかと思うと、僕の背中に手をまわして拝殿の方へと吹き飛んでいく。

「っぁぁっ!!?」

ピシャリと入口が閉ざされた音。
木の床の上に背中から打ち付けられ、少女に馬乗りされて見下ろされる。

『躾のなっとらん子じゃのう…何も知らぬ愚か者め。誰に口を聞いていると思っておるのじゃ?…のう?』

「ひっ!?…ぅぁ…ぅぅ……」

顔を覗き込まれ、真っ直ぐ目を見つめられる。
逃げたくても、金縛りにあったように身体が動かない。

怖い…助けて…美晴お姉ちゃん…お母さん…

『震えて声も出せぬのか?…反省しとらんようじゃのう。お主も美晴と同じ隠世かくりよに連れていってやろうぞ』

「ぁぁっ…ぁっ……ぅぁ…!!」

嫌だ…死にたくない…死にたくない!!!
助けて…誰か…嫌だ…!!!!

ゆっくりと首に手が伸びてくる。
少女に首を絞められるのだと思い、必死に抵抗しようとするが身体はうごかず声も出せない。

恐怖で震えている身体を…

『ほぉら、こちょこちょこちょこちょ』

「…っぁぁっ!?ひっ!?ぁぁぁっぎゃぁぁぁぁっあはっぁぁぁぁぁぁぁっあはははははははははは!!!!み、美晴お姉ちゃんぁぁぁぁっやめでぇぇっぁぁぁぁっ!!!」

頭が混乱して、首筋から襲いかかる凄絶なまでのくすぐったさに声を出して笑い狂うことを赦される。

少女の顔は変わらないのに、「こちょこちょ」という声が美晴お姉ちゃんの声と全く同じであった。

もしかして、この少女は美晴お姉ちゃんなのだろうか?
一瞬抱いた期待も、また無情にも打ち破られる。

『ほんの少し声真似をしただけじゃが、嬉しそうな顔で笑いよるのう…大好きな美晴お姉ちゃんが恋しいかえ?』

「ぁぁぁっあはっぁぁぁぁっみ、美晴お姉ちゃん返してよぉぉぉぉぁぁぁぁっあはっぁぁぁぁぁぁぁっいひゃぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁっくひゅぐっだぃぃぃっぁぁぁぁっ!!」

『くっ…ふふっ♪あ~っはっはっはっ♪傑作じゃのうて。そんなに美晴に会いたいのであれば…すぐにでも笑い死にさせて会わせてやろうか?』

少女の手が、首筋から腋の下に移動する。

シャツを着ているのに、まるで皮膚を直接触れられているようなくすぐったい感覚がして、身体が恐怖で震える。

「ひっ!?ま、まって…いやっ…やめて…やだっ…ひっ!?__ぅぁぁぁっぁぁぁっぎゃぁぁぁぁぁっ!!?ぁぁぁぁぁっいひゃぁぁぁぁぁっぁっあはっぁぁぁぁぁっぎゃぁぁぁぁっあははははははははははははははははははは!!!!」

『ほらほら、こちょこちょこちょこちょ~♪コウくんくすぐったいね~?』

少女はまた、美晴お姉ちゃんの声を真似ながら腋の下を容赦なくくすぐり始める。ほんの少し指を動かされただけで、白眼を剥いて気絶してしまいそうになるほどのくすぐったさを与えられてしまう。

顔は涙や涎でぐしゃぐしゃになり、肺から酸素を奪い取られて笑い狂うことしか許されない。

『お主といい、美晴といい。どうして人間というものはこう愚かなんじゃろうな。神であるわらわに意見をする。抗うことは赦されぬことじゃぞ。道理に逆ろうた罪、死ぬまでの間存分に笑い苦しませてやろう。』

「ぁぁぁぁっぎゃぁぁぁっ__ぁぁぁぁぁっあはっぁぁぁぁぁぁぁっいひゃぁぁぁやめでぇぇっげほっ、ごほっぁぁぁぁぁぁぁっじぬぅぅぅぁぁぁたすげでぇぇぇぇっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっあはははははははははははははは!!!!」

もうどこをくすぐられているのか分からない。
首筋も、腋の下も脇腹もお腹も脚も足の裏も。
まるで100本の指で全身を覆いつくされているような感覚だった。

段々と息が苦しくなり、笑い声も掠れて喘息のような呼吸音が混じる。もう…死んでしまうのだと諦めかけた瞬間に少女の指が止まる。

『…命拾いをしたな小童。主の母君によく感謝をしておくんじゃな。そして、二度とこの神社に立ち寄るでないぞ__』

『次は無いからな』

その言葉が耳の奥に残ると、襖が開いて誰かが入ってくる気配がした。

「…コウキ…!コウキ!!大丈夫?生きてる…よかった………ありがとうございます……”ククリヒメ”…」

「…お母さん…」

迎えに来た母はボロボロと泣いて安堵していた。

…結局、あの少女は何だったのか。
美晴お姉ちゃんのことも、何も分からなかったけれど、生きているという実感に僕も安堵して涙を溢してしまう。

「…ごめんね、さっきは言いすぎたね…ほら、帰ろうか」

「うん…僕の方こそごめんなさい!!」

母と仲直りをして、拝殿の外に出る。
まだ雨が降っているけれど、光の筋が見える、
神社の真上だけ太陽が見え、美しく晴れ渡り鳥居の上には虹がかかっていたのだった。

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