死にたい時に読む話

ジャンル:死にたい時に読む話 / 公開日:2022/04/08 /
1.死にたい社会人
「もう死にたい」「辛い」「生きたくない」
5秒に1回口から漏れる無意識の言葉。
絶望的なワードに苛まれる感情。
一人きりの部屋で傾けるグラスに溢れ落ちる涙。
__あれ、何で生きてるんだっけ?
理想通りにはいかない現実。
子供の頃に見た夢も忘れてしまった。
なら、もういっそのこと、死んでしまった方が楽になれるかな。
残された両親や家族は悲しむだろうか。
会社や大家にも迷惑がかかるだろうな。
そうなると、自分の人生何だったんだろう。
やりたいことも叶えられぬまま、惨めな死に方で救われねぇな。
…死ぬ前に、幼馴染に電話してみようかな。
何故だかふと声が聞きたくなった。
もう深夜だけど、まだ起きているだろうか?
電話の発信ボタンを押す前に手が震える。
今のメンタルで上手く話せるかな…。
プルルルル…プルルルル…
気がつくと電話をかけている自分がいた。
「ん~もしも~し…どうしたの~こんな時間に~?」
少し眠たそうな声の幼馴染。
起こしてしまっただろうか、申し訳なく感じる。
「あれ~…もしもーし?聞こえてる~?」
「……あ、もしもし、ごめんこんな時間に…」
駄目だ。少し声が震えている。上手く言葉が出ないかも。
「大丈夫?もしかして泣いてるの?」
何かを察したのか、急に優しい声になる幼馴染。
その優しさにまた泣いてしまいそうだった。
「うん……ごめん、ぐすっ…もう…死にたいんだ…」
「…今どこにいるの?…家?すぐ行くから待ってて!」
通話を繋いだまま、ドタバタと家を出る音がする。
「大丈夫だよ。私がいるから。」
優しい言葉が目に沁みていく。
近所に幼馴染がいてくれて、これほどまでに良かったと思ったことは無い。
およそ15分後、部屋の扉がコンコンとノックされる音が聞こえた。
鍵を開けると幼馴染が家に飛び込んできた。
そのまま玄関でぎゅーっと抱き締められる。
「急に死にたいなんて…心配したじゃん!」
「ごめん…ごめんね……心配かけて…」
冷たくなった感情が温もりで暖められていく。
軽率に”死にたい”という暗闇に逃げたことに、少し後悔を感じる。
「一先ず大丈夫そうでよかったよ!ねぇ、家上がるね?今日は泊まっちゃおうかな~♪…お腹空いてない?何か作ろっか?」
「あ…うん…何も食べてないかも」
「台所借りるよ~」とスタスタと家に上がっていく幼馴染。
思いつめていると、食事をするのも億劫で今日1日何も食べていない。
ぼーっと待っていると、「はい、お待たせしました~♪」と机にミートパスタが運ばれてきた。
「食べよっか?いただきま~す♪」
「…いただきます…」
ゆっくりとフォークを持って、パスタを口に運ぶ。
これが最後の晩餐か、いやそうじゃない。そうしたくない。
「どう?美味しい?まぁ、市販のソースかけただけなんだけど!」
「うん…美味しいよ……ありがとう…」
その後はお互い無言で食べ進め、最後まで完食した。
空腹感が消えると、鬱蒼とした気持ちも少しはマシになるのか。
「食欲はあるみたいでよかった♪…ねぇ、何か辛いことあった?無理にとは言わないけどよかったら話して欲しいな。」
「…うん……最近…」
仕事が上手くいかないこと。
生きるのが辛い。
何をしても楽しくない。
人生の希望を見出だせない。
生きる意味が分からない。
思い付くままに、ゆっくりと、ドロドロとした感情を吐き出していく。喋っているうちにまた涙が溢れ、後から聞いたら支離滅裂なこと言っていると思う。
幼馴染はその間、口を挟まず、否定せず、
静かに最後まで聞いていてくれた。
ひとしきり喋り終わったあと、幼馴染が口を開く。
「話してくれてありがとう。そっか、そんなに思い詰めてたんだね…一人で抱え込んで、大変だったね…」
…確かに、幼馴染に電話をかけるまで、誰にも悩みを打ち明けずに一人で何とかしようとしていた。
まるで世界には自分一人しかいないように考えていた。
だけど、現実はそうじゃなくて、実際には家族であったり、幼馴染、友達、あるいは見ず知らず出会った人だったり、精神科医だったり、自分が頼ろうと思えば頼れる人は沢山いるのだと気づいた。
どうせ人間なんて、いつかは必ず死んでしまう。
だから、来るべき時に死のうが自らの意志で死のうが変わらないと思っていた。
だけど、それは問題の解決でも現実逃避でもなく、ただの終わりに過ぎないのだと思う。
テレビの電源を消して、真っ黒になるように…。
…いつの間にか、幼馴染が近くで頭を撫でてくれていた。
ここまで自分を心配して、駆けつけてくれたことに、今さらながらありがたみを感じる。
「…私にはさ、人生の意味が何かとか、難しいことはよく分からないよ。正直考えたこともない…。だけど、そうやって思い悩んで苦しんでる時に頼ってくれたことは嬉しいし、今この瞬間も生きていてくれていることが本当に良かったと思ってる。だからさ、これからも一人で抱え込まずに打ち明けてくれると嬉しいな♪」
「ぅぅ…ぐすっ…ありがとう…本当に……」
「いっぱい泣いていいよ。落ち着くまで泣いて。」
そう言えば、人前で泣いた経験は久しぶりかもしれない。
いや、泣くという行為自体が久しぶりだ。
“いっぱい泣いていいよ”か…。
辛い時に流す涙は気分が落ち着くことを知っているのだろう。
暫く泣きじゃくっていると、涙も落ち着いてきた。
「ご飯食べてお腹も膨れた。いっぱい泣いて気分も落ち着いたかな?じゃあ次は…いっぱい笑おっか♪こちょこちょこちょこちょ~♪」
「えっ、ちょっ、っっひゃぁぁっははは!!だめぇぇくしゅぐったいってばぁっはははは!!!」
幼馴染に「こちょこちょ」言われながら馬乗りされて身体中をくすぐられまくる。
ジタバタと抵抗するも、腋の下に手を入れられてカリカリとくすぐられ、服の中に手を入れられて脇腹やお腹をさわさわもみもみとこちょこちょされされるがままに責められる。
「くしゅぐったい?相変わらずよわよわだね~♪ほら、もっともっと笑って?」
「ひゃぁぁぁっははも、もう十分だからぁぁっははギブっ!ギブですぅぅきゃぁっはははは!!」
子供の遊びのこちょこちょでも、くすぐったいものはくすぐったい…。
10分ぐらいぶっ通しでくすぐられ続け、抵抗する体力も無くなりさっきまでとは違う涙が目に浮かぶ。
「ぜぇ…ぜぇ…ひっ…ひゃだぁ……」
「ふふっ♪どう?いっぱい笑って元気出たかな?」
目の前で手をワキワキとして脅される。
「も、もう元気でたからぁぁ…それひゃめてぇ…」
「そっか、それはよかった。」
ようやく止めてくれる…と思っていると、
仰向けの身体にしっかりと馬乗りされて、両腕を万歳されて地面に押さえつけられる。
そして、キスできる近さまで上から顔を覗き込むように覆いかぶされる…
「えっ…ちょっ…どうしたの…?」
「…まだ死にたいなんて思ってる?」
顔の上にポツッ、ポツと幼馴染の涙が滴り落ちてくる。
「…もう、思ってない…死にたいなんて二度と言わない…」
「…良かった。もし、死にたいって答えてたら私がくすぐり殺してた。…約束だからね?」
「約束する…」
この日はそのまま、二人で夜を明かした。
久しぶりに何も考えず、ぐっすりと眠りに落ちた。
翌日起きてからは、これまでずっと悩んでいたことが嘘みたいに晴れ晴れとした気持ちで過ごすことができた。
いくら死にたいと思っていても現実は変わらない。
それどころか、もっと辛い感情に支配されていたであろう。
もし仮に、自分が死んだとしても、幸せになる人は誰もいない。自分自身を傷つけるだけで、さらには身近にいる人まで不幸にするだけだろう。
生きることで生じる苦しみもあれば、必ずどこかで幸せもある。今こうして、側にいてくれる人がいる。
自分が気づいていないだけで、案外近くに幸せはあるのかもしれない。
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無気力な高校生
4月から高校生になった。
桜の舞う校舎を新品の制服を着て歩いていく。
中学の同級生や友達がいない高校。
知らない土地。知らない景色。
本当は別の学校に行きたかった。
不本意な気持ちで入学したせいもあり、新学期が始まって数日経過したが一向に友達ができる気配どころかクラスに馴染める気配すら無かった。
「ねぇねぇ、どこの部活にするか決めた?」
「数学の先生怖そうだよな~」
「今日放課後遊びに行こうよ♪」
休み時間になると、教室内はざわざわとした活気に包まれる。辺りを見ると、もう既に仲の良さそうなグループがちらほらとできていた。
(このまま何の気力も無く高校生活を終えるのだろうか…)
貴重な10代の3年間を何に対しても楽しめずに終わってしまう未来を考えると、それもまた憂鬱な感情になる。
勉強にも身が入らず、いっそのことこのまま退学して働いた方がマシなのではないかとも思う。
授業(と言ってもほとんどガイダンスだが)が終わり、気づけば帰りのホームルームになっていた。
「は~いホームルーム始めますよ~♪え~っと…」
担任の先生は若い女性の先生だった。
おっとりとして優しい雰囲気。
この先生になら、今の自分の悩みを相談できるかな。
…やっぱりいいや。話したところで何も変わらない気がした。
ホームルームが終わると、クラスのみんなは部活に行く人、帰る人で分かれる。
やることも無いし自分も早く帰ろう…
荷物をまとめて教室の扉を開けようとした時、肩にぽんっと手が置かれた。
「ひっ!?」
振り返ると先生がいた。
「あっ、ごめんごめんくすぐったかった?…じゃなくて、少しお話したいんだけど、予定とか大丈夫かな?」
「あ…はい。大丈夫ですよ。」
「じゃあ付いてきてね~♪」
先生の後ろを特に会話もなく黙って付いて歩いていく。
人気の少ない廊下の先にある、空き教室に案内される。
「適当に座って?」
「はい…あの、何でしょうか」
空いてる椅子に腰をかけると、向かい合って先生が座る。
何か重要な話だろうか…
「ん~…♪ねぇ、学校楽しい?」
「へ…?いや、別に……どうしてですか?」
「そうだと思った。だって、入学した時からいつも楽しくなさそうな表情してるもん。何か悩んでることあったら先生に教えて欲しいな?」
相変わらずニコニコおっとりとした口調の先生だが、真剣な目をしていた。意外とちゃんと生徒のことをよく見ているのかもしれない。
正直、担任に話したところで何も変わらないのではないか。
この場はとりあえず適当に話して切り抜けよう…。
「いや、本当に悩みとか無いです…ありがとうございます…」
「ん~…そっかぁ…あっ!ごめんごめん!君に渡すプリントがあったのすっかり忘れてた~♪ちょっとすぐ取ってくるから教室で待っててくれるかな?」
「え、はい…分かりました…」
バタバタと教室の後ろの扉から出ていく先生。
まぁいいや…戻ってきたらすぐ帰ろう。
椅子に座り机に肘をついてぼんやりと待つ。
この時は背後から忍び寄る先生の気配に全く気がつかなかった。
「こちょこちょこちょこちょ~♪」
「ひゃっ!?きゃぁっひゃははははは!!なっ!?ひゃめっぁぁっははくしゅぐったいぁぁっはははは!!!」
いつの間にか背後にいた先生から10本の指で首筋をこちょこちょとくすぐられる。首の後ろをくすぐられると力が抜けて抵抗もできず、机に頭を押さえつけられるような形になる。
「ねぇ、先生に隠してることあるでしょ?正直に話してくれるまでこちょこちょ拷問してやる~♪」
「そ、そんなぁぁっはははひゃだぁぁっははは!!せ、セクハラぁぁぁ!!へんたぃぃぃぎゃぁっははははは!!だ、誰かたひゅけでぇぇぇぁっははははは!!!ひぃぃひゃぁっははははは!!ひゃめでぇぇぇぇぅぁっはははは!!!」
くすぐる指がエスカレートしていく。
首筋から腋の下に手を挟んで薄いカッターシャツの上からこちょこちょといじられ、脇腹やお腹をさわさわもみもみとくすぐられる。
くすぐられるのなんて幼稚園ぶりだろうか。
高校生にもなって女性にこちょこちょされて無理やり笑わされるのは恥ずかしい。
「セクハラ?へんたい??先生に向かってそんなこと言っていいと思ってるの?これはちょっときつーい教育が必要かな~♪こちょこちょ~くしゅぐったいね~?」
椅子から立ち上がろうとすると後ろから首筋をさわさわと撫でられ耳に息を吹き掛けられる。
力が抜けたところに容赦の無いくすぐりが襲い、強制的に笑わされることしかできなかった。
「ひゃぁぁぁんきゃぁぁっはははは!!ひぃぃごめんなひゃぃぃぁぁっはははは!!ゆるっきゃぁっははは!!げほっ、ごほっ、ゆるじてくださぃぃぃぁっはははごめんなしゃぃぃぃひゃぁぁっははもう限界だからぁぁっはははは!!」
「こちょこちょ~♪…あっ、ごめんごめん、つい楽しくなっちゃってやり過ぎちゃったかな?」
「ひぃっ…はぁっ…はぁ…はぁ…」
あまりのくすぐったさに限界を迎えてごめんなさいする。
ようやく先生のこちょこちょが止まり、力尽きたかのように机にだらりと頭を乗せる。
うっすらと目には涙が浮かび、口から涎が垂れてしまっていた。3分程ぜぇぜぇと息を整え、目の前にいる先生を恐る恐る睨み付ける。
「せっ、せんせい…いきなりなにするんですか…!」
「あれ~?まだ少し反抗的…もしかして、もっとこちょこちょして欲しいの?」
くすぐるような手付きで指をワキワキされ、思わず「ひっ!?」という声が出てしまう。
「ふふっ♪冗談はさておき、…そろそろ、先生にお悩み話してくれる気になったかな?」
「…あっ…」
そう言えば悩みについて聞かれていたんだった。
これ以上誤魔化してまたくすぐられるのはごめんだ…。
大人しく先生に、学校生活で悩んでいること、やる気や目標が持てないことなど、包み隠さずありのままに話した。
話している最中、先生は否定せず、相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。
「…そっかそっかぁ。成る程ね。話してくれてありがとう。どうかな?今こうして悩みをぶつけて、先生にくすぐられて思いっきり笑って、少しはスッキリしたかな?どうかな?」
「まぁ…少しは気持ちが楽になった気がします。」
「それはよかった♪…あっ、先生この後用事があるからもう行かなきゃいけないけど、また何か悩みがあったらいつでも相談に乗る。君は1人じゃないし、先生がついてる!…だから、安心して学校楽しんでいいんだよ?じゃあまた明日~♪」
「はい…!ありがとうございました!」
入学した時から悩んでいたことは、今となってはちっぽけに感じる。結局のところ、自分から壁を作って1人で悩んでいるフリをしていたのかもしれない。
学校が楽しくないのも、目標が持てないのも、クラスに馴染めないのも、自分の思い込みだ。
もし本当に嫌なら別の高校への転入方法を調べたり、今日だって登校すらしていなかったかもしれない。
誰かに気づいて、助けて欲しかっただけだ…。
今日先生と話したことで、正直かなり気が楽になっていた。
まだ明日も学校がある。
明日は、誰か1人、友達を作ってみよう。
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憂鬱な新社会人
「あ~働きたくたくねぇ!!」
時計は朝7時。ベッドで目を覚まして開口一番に出た言葉。
一人暮らしを始めたばかりの部屋は少し物寂しい。
部屋の隅にはまだ引っ越しの段ボールが置かれている。
大学を卒業して、いよいよ4月から新社会人になった。
今日で入社してから数日が経ったが、もう既に気分は憂鬱。
自由に過ごしていた大学生活が恋しい…。
それでも今日も仕事。いそいそと身支度をしてスーツに身を包む。
「いってきま~す。…誰もいないけど。」
ガチャリと鍵を閉めて駅へと向かう。
都会の満員電車には、自分と同じ新社会人と思われる人や、暗い顔をした中年のサラリーマンが詰め込まれている。
(自分もあと40年くらい毎日働くのか…)
そう考えるだけでも悲しくなってくる。
やめようやめよう。思考を切り替えて音楽でも聞こう。
無心になり電車を乗り継ぎ、会社についた頃にはもうクタクタになっていた。
「おはようございまーす!」
「おはよ~!」
会社の研修室に着くと既に同期が何人か座っていた。
暫くの間は研修が続くらしい。
ビジネスマナーや営業のロールプレイングなどを散々叩き込まれる。
今日で研修3日目。早くも会社を辞めたいという気持ちが芽生えてきた…。
9時になりピシッと緊張した空気が室内に漂う。
「「おはようございます!!」」
ゾロゾロと講師の先生やお世話になる上司達が部屋に入る。全員一斉に起立して挨拶をする。
午前中はビジネスマナーについての研修だが、とにかく講師が怖い。
少しでも回答を間違えると鬼のように怒鳴る講師。
初日の期待に満ち溢れたような楽しい雰囲気はこの数日ですっかりと消えてしまったように思われる。
どうにか地獄のような3時間が過ぎ去り、1時間のお昼休憩になる。最初の内はみんなで連れ立って外にご飯を食べに行ったが、今となっては覇気の無い様子で持参した弁当やサンドイッチを口に運んでいる。
出勤前にコンビニで買ったカップラーメンを早々にすすり、喫煙所へと向かう。
「あ~まだ午後もあるのか~…帰りたい」
無意識に一人言が口から漏れてしまう。
誰にも聞かれてないか不安になったが、辺りには誰もいなかった。
喫煙所に入ると、女性の先輩が煙草を吸っていた。
「あっ…お疲れ様です!」
「おう、お疲れ。」
まだそんなに話したことは無いが、背が高くてスーツの似合う仕事ができるキャリアウーマンと言ったような印象の人だ。男っぽい口調で格好良く、自分は密かに憧れていた。
「………。」
「…」
自分と先輩の二人。お互い無言で少々気まずい。
早めに吸って部屋に戻った方がいいのだろうか、それとも何か話しかけた方がいいのだろうか。
意外にも、先に口を開いたのは先輩の方だった。
「どうだ?社会人には慣れたか?」
「ふえっ!?あっ、はい…。でも、正直言うと研修がきつくてきつくて、もう辞めたいです…」
ヤバい…先輩に向かって思わず本音を吐き出してしまった。
怒られるだろうか……。背中に冷や汗が滴る。
ふ~っ。と大きく煙草の煙を吹く先輩。
「ふふっ、はははは!正直な奴だなお前。なるほど、社会人3日目でもう辞めたい…か。」
あれ、怒られることを覚悟していたが、先輩はむしろ愉しそうな表情で笑っていた。
「あれ、てっきり怒られるかと思いました」
「私も入社したばかりの頃、そういう風に考えていた時期があってつい懐かしくてね。うん、辞めれば?」
「……へ?」
「ん?どうした?引き止めて欲しそうな顔だな。君はどうしたい?辞めたいのか、辞めたくないのか。私としてはどちらでもいい。会社は学校じゃない。自分でよく考えてみな?それでもまだ悩みがあるならいつでも話聞いてあげるよ。」
じゃあね、と手を振って喫煙所から立ち去る先輩。
「どうしたい…か。」
自分はこの会社を辞めたいのだろうか。
まだ入社したばかりで、学生の頃とのギャップや環境、生活の変化に慣れていないのかもしれないな。
この研修だってずっと続く訳じゃない。もう少しだけ頑張ってみるか。とりあえず今日を無事に乗り越えることを目標に。
「あっ、やばい!あと3分で昼休み終わる!」
急いで喫煙所を出て研修室に戻る。
それから午後は3人ずつグループを作り、ロールプレイングの研修を行った。喫煙所で話した先輩は各グループを周って順番にアドバイスをしていた。
午前中とは違い、まだ自由度が高くて和やかな空気。
(どうせなら早く仕事したいなぁ…)
「おいっ、何ぼんやりしてるんだ~♪」
「ひゃふぅっ!?す、すみません!!」
いつの間にか近くにきていた先輩に脇腹をツンツンされて変な声が出てしまった…
先輩だけでなく、同期にもクスクスと笑われてしまう。
「よし、じゃあ特別に私が相手してやるから、営業役やってみな?」
「は、はい!!」
その後必死に役をこなし、自分でも中々上手くできていたのではないかと手応えがあった。
「うん、悪くない。ただもう少しこうして…」
先輩から直接アドバイスをもらう。次第に、この先輩の下で働きたいというような気持ちが芽生え始めてきた。
午後もあっという間に時間が過ぎ、定時になる。
疲れた様子で帰っていく同期達とは反対に、気づけば先輩のところに足を運んでいた。
「あの、お疲れ様です!昼休みにご相談した件でお話があるんですけど、少しお時間よろしいでしょうか?」
チラッと時計を見る先輩。
「手短にな。どうした?」
「俺、先輩の下で働きたいです!!」
少し驚いたような表情をする先輩。
「そうか。頑張れよ。お疲れ様」
「え、あ、はい!お疲れ様です!」
相変わらず淡々とした口調だけど、研修の時とは異なる優しい声だった。この日は社会人になって初めて、嬉々とした気持ちで家に帰った。
数日後、配属先が発表された。部署は営業部。お世話になる上司についてはまだ知らされていない。行ってからのお楽しみだそうだ。
まだ少し慣れていない広い社内を歩いて営業部のフロアに向かう。
「え~っと、あ、ここかな。…ふ~緊張するな。」
一回深呼吸を挟み、意を決して部屋に入る。
「失礼します!今日からお世話になります……あっ、先輩!」
目の前には憧れていた先輩の姿があった。
「研修以来だね。今日からしっかり指導していくから、ついてこいよ?」
「は、はい!よろしくお願いします!!」
それから厳しくて時々優しい先輩の下、仕事に明け暮れる日々を過ごした。
数ヶ月経ち、大きな仕事の案件が片付いた日、仕事終わりに先輩と二人で飲みに行くことになった。
「お疲れ様!かんぱい!」
「お疲れ様です!!かんぱーい!!」
金曜日の仕事終わりに飲むお酒は格別だ。
仕事に厳しい先輩の表情も綻ぶぐらい。
「入社したての頃は『もう辞めたいです』なんて泣き言吐いてたけど、最近はどうだ?順調か?」
「そう言えばそんな時期もありましたね…あの時先輩がいなければ、自分は今頃辞めていたかもしれません。あっ、そう言えばどうしてあの後先輩と同じ部署にしてくれたんですか?」
ずっと先輩に聞いてみたかった疑問だった。今、ようやく聞ける機会がきた。
無言で煙草に火をつけてゆっくりと吸い始める先輩。
「…研修期間中に辞める奴は別に珍しくない。だけど、物怖じせずに私の下で働きたいと言う奴は珍しかった。それだけだよ。」
目を反らして煙草を吸う先輩は何だか珍しかった。
もしかしたら照れているのかもしれないが、それを指摘するのは叱られそうな気がして出来なかった。
先輩にご馳走して貰い、健全に一軒目で家路についた。
この人に認められるまで、もう少しこの会社で頑張ろうと思う。
~fin