アムリタ

 

ジャンル:R-18小説 / 公開日:2020/07/01 /

       

多くの学生が通う芸術大学の、役者コースに入学した。客観的に見て、自分はそこまで演技がうまい方ではないと思う。

二年になったある日、学校の中でも有名な美人に声をかけられた。撮影コースの画素さんという人で、

「一緒に映画をとりませんか?」

という話であった。校内でも断トツの美人である画素さんに誘われて断る男などいるのだろうか。いやいない。あわよくばお近づきになりたい…。

部室に案内され、話を聞くとサークルで近々映画を撮影するという話だった。

元々出演予定だった役者の代役として、僕が選ばれた…という流れであった。

映画の撮影は画素さんが行う。
てっきり監督も画素さんが兼任するのかと思ったが、どうやら別にいるようだった。

その人は、1年生の”天才”。
最原最早さいはらもはやであった。

名前は聞いたことがある。今年の入学試験で、唯一の推薦入学者であった彼女は、わずか約20分ばかりの映画で合格を与えられたらしい。

噂によるとその作品を見た教授達の反応は
「こんなものは映画じゃない」
「これは天才の作品だ」
と意見が割れていたという。

最原さんに会ったことはない。
だけど、少しだけ会ってみたいと思った。

話を戻すと、今回サークルで撮影する映画のコンテは最原さんが書いたのだという。

何ページもある紙束の一番上には、『月の海』と書かれていた。

「まずは読んでみて、参加するかどうか決めてください!」という画素さんに従い、その日は部室を後にした。

レンタルビデオ屋でバイトをしているが、客は1人も来ない。店長の趣味が反映されたマニアックな作品を借りにくるような物好きな人は残念ながらいないようだ…。

よく潰れないなと思いながら裏で映画を見て時間を潰す。

天才監督か…。天才の作る映画とは、どんな作品なんだろう。

「店長、”天才監督”って、どんな人だと思いますか?」

「そりゃあ、あれだよ。人を使うのが上手い人かな、あくまでも一般論の話だけど…。天才かぁ…」

そっと目を潜める店長。それは、どこか遠い楽園を見つめるような目だった。

「天才監督はね、凄い映画を作る人だよ。過程なんてどうでもいい。フィルムが何よりも凄いんだ。どう凄いのか誰にも説明できない。だから誰にも真似できない。でも絶対的で凄絶で唯一で無二の映画。それはきっと、天才と呼ばれる人間に変装した、神様が作った映画なんだよ。」

“神様”が作った映画…。家に帰ったら、あのコンテを読んでみよう。バイトが終わり、コンビニでお酒を買ってから帰宅した。

……時間を忘れて、急激な喉の渇きで意識が戻る。

スマホで時間を見ると、二日後の朝7:00だった。
徐々に記憶が甦っていく。

バイトが終わり、家に帰宅してから、映画の脚本を読み始めて…。

現在の時刻から考えて、「丸二日」ぶっ通しで読み続けていたことは確かな事実であった。

いてもたってもいられなくなり、急いで大学へ向かう。映画サークルのある部室棟へ足を早める。

階段をかけあがり、部室の前まで来たが、よく考えたら中に誰かいるのだろうか。

案の定、扉に鍵がかかっていた。

僅かな期待を込めて、扉をノックする。

コンコン…

3分ほど待ち、やっぱり誰もいないよなと諦めて帰ろうとしたその時、部屋の中からガサガサと音が聞こえた。そして、ゆっくりと扉が開いていく。

目の前に立っていたのは、画素さんではなかった。
恐ろしい程の美人…。おそらくこの人が、最原最早なのだろうか。

「初めまして。…二見遭一ふたみあいいちさんですね。」

「そうですけど…どうして」

「『月の海』を読まれましたか?身体に異常はないですか?」

「異常は…ないです。食事を摂ってないだけです」

彼女によると、絵コンテを読んで体調を崩した人が過去にもいたらしかった。

時間を忘れさせて読む程の力を持つ、あれは一体なんなのだろうか。

「あの、」

「二見さん、愛とは何ですか?」

唐突な質問に、一瞬たじろいで何も答えられなかった。

「何かを愛したことはありますか?」

「…ないと思います…」

「二見さんは、私のことが好きですか?」

「それは…分からないです。まだ出会ったばかりで…」

「これから映画を作ります。それはきっと、誰かの人生そのものを変えてしまうくらい、素敵な作品になりますよ。」

最原さんの質問の意図は分からなかったけど、
彼女がとても映画が好きな人だということはわかった。

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映画の撮影は、全てが順調だった。
それは画素さんの撮影技術と、最原さんが書いた
寸分の狂いのないコンテがあってこそで、決して
僕の演技が上手いとかではない。

『月の海』は恋愛をテーマにした物語だ。

男性と女性が出会い、恋をして、デートをして、
本当の愛とは何かを考えさせられるストーリーだ。

主演男優は僕で、相手役の女優は、最原さんが担当する。最原さんは監督としての腕はもちろんのこと、役者としても相当上手い。

噂によると、どこかのコンクールで優勝した経験もあるとか…。

撮影中の最原さんは、ほとんど指示を出すことはなかった。ところが、ある場面の僕の演技があまり上手にできず、何度もやり直しが続いた。

女性とのデートで公園のベンチに座り、軽いスキンシップとしてくすぐられるシーンがある。

僕は、相手役の女優である最原さんに脇腹を少しつつかれるだけで悶絶し、「ぁひゃょぉぁはぁ!!」
みたいな謎の奇声を上げてへなへなと地面に崩れてしまう。

その度に困った顔をしながら
「はぁ…またですか。豚のようにうずくまって情けない人ですね。」

「二見さん…弱すぎませんか…?幼稚園児からやり直しますか?」

などのように天然ドSの最原さんに煽られ続け、結局うまく撮影が進まないままその日は終わった。

次の日朝起きると、腹筋が筋肉痛になっていた。
とりあえず大学へ向かう。映画サークルの部室に行くと、最原さん1人だけだった。

「あれ…最原さん、今日は撮影しないんですか?」

「今日は全体の撮影はお休みです。なので、二見さん、これからデートに行きましょう。」

「デート!?いや、急に…えぇ!?」

「私はデートではなく、dateと言いましたよ?」

「いや絶対言ってない!!」

普段の最原さんとの会話はこんな感じで、ひたすらツッコミ続ける僕。「そんなことは置いといて、早く行きますよ」という最原さんに続いて、行く宛も教えて貰えないまま電車に乗り、吉祥寺まで来た。

「予約していた最原です。」

「最原様ですね。ご案内いたします。」

たどり着いたのは、普通のカラオケ店だった。
なぜかパーティー用の部屋に通される。
ここで一体何をするのだろう。

「あの…最原さん。これから何を」

「二見さん、”笑い”とは何だと思いますか?」

また突然の質問。

「う~ん…例えば、楽しかったり、幸せだったりした時に起こる反応が笑いだと思います。」

「ぶっぶー!!違います。」

外れた。…めちゃくちゃ馬鹿にされているような気がするのは気のせいだろうか。

「何故人は楽しかったり、幸せな気持ちになった時に笑うのでしょう。二見さんの答えは15点くらいです。笑いの本質が理解できれば、二見さんの演技は確実に良くなります。」

何となく、最原さんが僕をカラオケ店に連れてきた意図がわかるような気がした。つまりこれは、
最原さんの個人レッスンなのだと思う。

「二見さん。今からとある映画を観て頂こうと思います。私が作成した、”笑い”の映画です。」

DVDをセットする最原さん。
なるほど…だからこんな無駄に広い部屋を貸しきったのか。言うなればここは、”映画館”の中だ。

「よく観ていてくださいね。」

……。

映画は、動物の映像から始まっていた。
猿や犬、猫の映像が数分ずつ流れたあと、突然場面が切り替わり、神社の絵になる。夕焼けが綺麗だ。

よく分からないまま、約20分で映画は終わる。

「どうでしたか?二見さん。」

「あの…この映画は一体…なんっっひぃぃぎゃぁぁっはははははは!ぁぁぁぁぁっははははは!!ぁぁぁぁっはっははははは!?」

突然全身にくすぐったい感覚が生じる。
床にうずくまり、楽しくないのに強制的に笑いが身体の底から生じる。

しかし、最原さんは何もしていない。

僕の体には指一本触れず、ドリンクバーのメロンソーダを飲みながらじっと笑い悶える様を見つめていた。

「ぎゃぁぁっははははさいはらさぁぁん!!ひゃひぃぃぃたすけ!たずけてぇぇぇぁぁぁっははははははは!!」

「大丈夫ですよ。二見さん。ここは防音が優れた部屋ですから、思いっきり笑って頂いてかまいません。」

約10分の間、強制的に笑い続けていた。
映画を観た後、突然くすぐったいような感覚に襲われ、効果が切れた後、全身汗だくになり、顔は涙や涎でぐしゃぐしゃになり、全身の力が入らず呼吸を整えるので必死だった。

「どうでしたか?二見さん。笑いについて、少し理解して頂けましたか?」

仰向けになって死にかけている僕の顔をハンカチで吹いてくれる最原さん。喉が渇き、声帯が痙攣してまともに話すことができない。

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「二見さん。実際に笑ってみてどうでしたか?苦しかったですか?楽しかったですか?幸せでしたか?」

喉から声が出ない。最原さんの言葉を黙って聞いているしかできない。

「今の二見さんの心の声を代弁してあげましょう。『苦しい』『息ができない』『声が出ない』『しんどい』『最原さん愛してる』などでしょうか。」

「……っ…ぁ……ぁ」

「そうです。笑いとは、楽しくて嬉しくて悲しくて辛いものです。ところで、どうして人間は”笑い”という行為を行うのでしょうか。笑いとは、人間という種だけに許された、自己を表現する行為ではないでしょうか。」

…ようやく呼吸が落ち着いてきたが、まだ声は出せなかった。それに、今気づいたけど、疲労で指一本動かせない状態で、全く力が入らない…

そんな僕を尻目に、最原さんの講義は続く。

「二見さんは、”自然淘汰”という言葉をご存知ですか?有利な変異は保存され、不利な変異を排除する過程のことを言います。もし、人間に笑いという機能が存在しなかったらどうなるでしょうか。」

…笑いが存在しない世界…誰しもが無表情で、きっと色の無い灰色の世界みたいだと思った。

「笑いとは、人間が持つ自由の一つです。人間に与えられた最高で、最強の武器です。笑いという行為がある為、人は他者と打ち解け、コミュニケーションを円滑にし、社会を形成することができます。」

ゆっくりと僕の方に近づいてくる最原さん。
そして、腰の辺りに馬乗りになり、手をワキワキさせて近づけてくる。

「二見さん。くすぐりは、神によって与えられた”笑い”を体験できる、素敵な遊びなんですよ。」

ニッコリと微笑み、ゆっくりと、指先を脇腹へと近づけ…

「っっぁぁぁぁぁぁぁっひゃぁぁぁぁぅぅぅぅ!!ぁぁぁぁっっっぁっ!!!!」

脇腹にあるツボを適度な力加減で揉みほぐされ、
声にならない声をあげる僕。

暴れたくても、まるで見えない鎖で拘束されているかのように指1本動かせない。また、最原さんに馬乗りされているためどう足掻いても逃げることはできなかった。

「ほぉら、こちょこちょ~。二見さん、どうですか?楽しくて苦しくて悔しいですか?年下の女の子に少し身体を触られただけで笑わされて。」

頭の中がくすぐったいという感覚で埋め尽くされる。最原さんは脇腹やお腹、腋の下、首筋…

様々な箇所を素早く指先でこちょこちょと動かし、さわさわと撫で回し、僕の身体を蹂躙していった。

「どうですか二見さん。そろそろ、くすぐられるのが気持ちよくなってきませんか?」

くすぐりが…気持ちい……

脳の神経がバチバチと焼かれるような感覚。

そうだ…大好きな最原さんにくすぐられて、
幸せな感情だから笑っているんだ…

段々目の前が真っ白になっていく。
呼吸が徐々に深く、遅くなっていく。

「二見さん…おやすみなさい。次に目を覚ました時はもう…」

最原さんの言葉を最後まで聞く前に、意識が途切れる。

『別人のようになっていますよ。』

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あとがき

栞です。本稿は野崎まどさんの小説『「映」アムリタ』という小説を元に書きました。最近自分が読んだ小説の中で一番衝撃を受けた作品であり、僭越ながら二次創作を執筆いたしました。お許し下さい。

導入部はほぼ原作通りのストーリーで、後半部の”笑い”に関するテーマは私の創作部分です。

くすぐりフェチのみなさんは「笑い」とは何だと思いますか?どうして人は笑うのでしょう。
どうしてくすぐられると、人は笑うのでしょう。

よければぜひ考えてみてください。

宣伝ですが、野崎まどさんの『アムリタ』から始まり『2』で完結する一連の新装版の小説はどれも面白いので興味のある方はぜひ読んでみてください。

kindleunlimitedで全て読むことができます。

なお、読む順番は『アムリタ』が一番最初で、最後に『2』を読んでください。世界観が繋がっているのが分かると思います。

以上です。最後までお読み頂きありがとうございました。

参考文献

・野崎まど『[映] アムリタ 新装版』2019,メディアワークス文庫
・野崎まど『2 新装版』2019メディアワークス文庫
・渡辺政隆訳、ダーウィン著『種の起源 上』光文社古典新訳文庫

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