山紅葉

公開日:2021/11/14 /
都心から車で約2時間。この時期になると彩あざやかな紅葉が見渡せる山がある。
電車やバスでは行きにくく、シーズンでも人は少ない。穴場の絶景スポットと言ったところだろうか。
待ちに待った休日の日曜日。
朝5時に起きて支度をする。
天気は晴れるみたいだが、念のため雨具を持っていこう。動きやすい服装で準備万端。
車に荷物を積んで出発する。
まだ外は少しほの暗く、ひんやりとした冷たい秋風を頬に感じる。
朝の空いている道を30分程運転していると、空が明るんできた。眩い陽射しが車内に差し込む。
途中コンビニに寄り、朝ごはんや飲料水、コーヒーを買い込む。サンドイッチをつまみながら目的地を目指す。都会に立ち並ぶビルから、郊外に行くに連れて風景が変わっていく。
ドライブを楽しんでいると、あっという間に目的地に着いた。時刻はまだ朝の8時頃だ。
車を麓の駐車場に止めて少し休憩する。
…よし、行くか。
天気に恵まれた絶好の行楽日和。
麓から山頂まで、大体お昼頃には着くだろう。
山道はある程度歩けるように舗装されているが、
この日も登山客は少なかった。
焦ることは無い、ゆっくり景色を楽しみながら登ろう。
山の中は麓より空気がひんやりとしている。
紅い落ち葉の絨毯を踏みしめながら、木漏れ日の射す道を登っていく。
都会の喧騒や人工的な建造物とは真逆の空間。
まるで世界に自分一人だけしか存在しないみたいだ。
いや、よく耳を澄ますと、野鳥の鳴き声、風で木々が揺れる音、…遠くから川が流れる音も聞こえるだろうか。
川なんてあったかな…。
せっかくなので少し寄り道するのも悪くないか。
…東の方向から水の音が聞こえる。
よし、とりあえず右に進んでみよう。
今歩いている山頂までの道は多少なりとも舗装されているから、ここまで真っ直ぐ戻れば遭難することはないだろう。
軽い冒険心のつもりで横道を進む。
その瞬間、大きく風が吹いて木葉が舞い散る。
(来ないで。元の道に引き返して。)
「!?えっ…誰か…いるのか…?」
一瞬、女の子の声が聴こえたような気がした。
辺りを見渡してみるが、誰もいない。
自分の聞き間違えだろうか…。
やっぱり引き返した方がいいだろうか。
…いや、このまま進んでみよう。
少し悩んだ末、先に歩を進めることにした。
この先に川がある保証は無いが、きっと何かあるのではないかという直感を頼りに歩いて行く。
決して歩きやすいとは言えないが、不可能ではない。15分程無心で歩き続けると、少し開けた場所に出た。
小さな小川が流れ、太陽の光が降り注ぐ場所。
「あれ…誰かいる……」
登山客だろうか。それにしては不自然な、白いワンピースを着た髪の長い女性が座って川を眺めている。
おそるおそる近づいて、話しかけてみることにした。
「あの~、すみません。登山客ですか?道に迷ってたらここに来ちゃって。綺麗な川ですよね~。」
「……嘘つき。」
「…え……?」
うっすらと背中に冷や汗が流れるのを感じる。
さっき…風が吹いた時に聞いた女性の声だ…
川を眺めていた女性がこちらを振り返る。
綺麗な整った顔。しかし、表情は怒っているような、哀れんでいるような…
「道に迷ったのは嘘でしょ?警告を無視してあなたはここまで歩いて来た。違う?」
「あっ…えっと…道に迷ったのは本当で、たまたまここを通りかかっただけで…」
図星だったが、思わず否定してしまった。
身体が自然と後退りする。
「…本当にどうしようもない人ですね。素直に認めたら何もせず帰してあげようと思ったのに。…お仕置きが必要ですね。」
ゆっくりとこちらに歩いてくる女性。
ヤバい…逃げなければ……第六感が警告するが、驚く程足が重く感じる。
そして、尻餅をついて落ち葉の上に倒れこんでしまう。
「そう。そのまま大人しくしてなさい。」
女性に腰の辺りに馬乗りされ、両腕を万歳した状態で上から押さえつけられる。
抵抗しようと必死にもがくが、逃げられそうになかった。
「た…たすけ……」
声を出そうにも言葉が出てこない。
「仕方ないから私が躾してあげる。ほら、こちょこちょこちょ~」
「ひっ!?…っっ…ひゃぁっ…っっぁぁぁぁっはははははははは!?!?なっ、なにしてぎゃひぃぃぃぁぁぁぁつははははやめっ、やめてぇぇぇ!!!」
いきなり服の中に手を入れられて、ひんやりとした指で腋の下をカリカリとくすぐられる。
予想外の刺激に、成す術もなく笑わされる。
(くすぐったいくすぐったいヤバいヤバい…)
「ほら、嘘ついてごめんなさいは?」
こちょこちょこちょこちょこちょこちょ
カリカリカリカリさわさわさわさわ
ツンツンツンツンもみもみもみもみ
「いぎゃぁぁぁぁぁっははははは!!!!ひゃぁぁぉぁっごめっっごべんなざぃぃぃぃぃぎゃぁぁぁっははははひゃめでぇぇぇしぬぅぅぅぅぁぁぁっはははははゆる、ゆるひてくだざぃぃぃぁっははは!」
その言葉を聞いて初めてにっこりとする女性。
だが、くすぐる手は止まらず、服の中で腋の下、脇腹、お腹を容赦なく責め立てる。
顔は涙や涎でぐしゃぐしゃになり、いい大人なのに情けなく笑わされるのは恥ずかしかった。
「でもまだ反省してないでしょ?くすぐられるの止めて欲しくて言ってるだけでしょ?…それに、どうして私が怒ってるかも理解してない。まだ許さないよ?」
耳元で囁かれながら、左手で首筋を、右手で腋の下をくすぐられる。
そして、耳が弱いと判断したのか、息を吹きかけられたり、舌で舐められてくすぐられる。
「ひぃぃぃぃっはははは!!ほ、本当にはんせいしてますからぁぁっひゃぁぁぁぁ!?!?ぁぁっ!、ひゃ、ひゃめてくださぃぃぃ!!!う、うそついてごめんなざぃぃぃ!ほんとうは川がみたくてぇっははははひゃぁぁっ!!」
「……ようやく素直に謝ったことだけは認めてあげる。」
「…ぜえっ…ぜえっ…はぁ…はぁ…ひっ…ひぃぃ…ひゃは…はぁ…」
ようやくくすぐっていた手が身体から離れる。
まるで長時間トライアスロンをしたような疲労感。
必死に呼吸を整える…これ以上くすぐられていたら、本当に……
「…あなた、去年も来てたよね?」
「……えっ…?」
「山頂まで朝から登って、嬉しそうに紅葉眺めていた。本当はそれも駄目だけど、百歩譲ってそれぐらないなら目を瞑ってた。…だって、本当に紅葉好きそうだったから。」
…去年も確かに、この山に来た。
たまたま見つけた山で、思わず登ってしまったっけ
「そして今年も来た。…まぁ、山頂に行くだけなら好きにすればいいと思ったけど、まさか人様の庭に許可も無くやって来るとは思わなかった。」
「庭……ご、ごめんなさい!!この山の所有者の方ですか…?」
その時初めて、この山が私有地の可能性に気づいた
どうして今まで疑問に思わなかったのだろう。
少し考えれば分かりそうなのに。
「所有者……まぁ、そういうことにしておこう。
とにかく、もうこの川には来ないで。分かった?」
「分かりました…すみませんでした…」
「……でも、山頂だけなら、いつでも来ていいよ」
「えっ……あっ、あの!!…あれ…?」
気がつくと、最初に歩いていた道に寝ていた。
夢を見ていたのだろうか…。
それにしてはゾクゾクするようなくすぐったい感覚が鮮明に蘇る。
今日はもう帰ろう。…山頂へは、またにしよう。
荷物を背負い、元来た道を下山する。
山を抜ける瞬間、また大きく風が吹き、
(またね…)
って声が聴こえた気がした。
車に乗り、時間を見ると午前11時になっていた。
少し早いけど、近くで昼ごはん食べて帰ろう。
窓ガラスを開ける。
「また来るよ…」って小さな声で囁き、駐車場を後にする。
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epilogue
国道沿いにある蕎麦屋で昼ごはんを食べることにした。
趣のある古民家風のお店で、味も期待できそうだ。
鴨南蛮蕎麦と天ぷらの盛り合わせを注文。
車じゃ無ければお酒を頼んでいただろう。
「はい、どうぞ~鴨南蛮蕎麦と天ぷらです。」
「ありがとうございます~。」
人の良さそうなご夫妻が営むお店。
他に客は居なかったので、つい雑談してしまう。
「あの~、少しお聞きしたいんですけど、国道を15分程進んだところにある、紅葉の綺麗な山って誰かの私有地かご存知ですか?」
「ぁぁ、あの山ね~。昔はこの時期になると地元の住民や観光客で賑わってたんだけど、ある時から不審な噂が出てねぇ。」
「不審な噂…ですか。」
「そうなのよ。あの山でマナーが悪い人だったり、寄り道をする人はみんな遭難するんだって。その中でたまたま見つかった人がいてね、これも本当かどうか分からないですけど、”白いワンピースを着た女に死ぬ程笑わされた”って。変な話ですよね~。」
「……ははっ。そうですね……ありがとうございます。」
…やっぱり、夢ではなかったのか…?
蕎麦を平らげ、早々に店を出た。
まだ時間は昼頃だったが、他に立ち寄る気力も出ず自宅に帰ることにした。
あのワンピースの女性は何者なんだろう。
そもそも、生きている人間かどうかも…
これ以上考えるのはよそう。
車内で音楽を大音量で流し、無心で車を飛ばす。
…ようやく家に着いたのが15時過ぎ。
帰った瞬間一気に疲労感が襲う。
一眠りしたい…その前にシャワーを浴びよう。
服を脱いでふと鏡を見ると、腋の下や脇腹に赤い紅葉の跡が残っていた。